農福連携に関わる園芸療法士・作業療法士の就労継続支援B型事業所でのチャレンジ日記⑩「ただ、月を想う」

先月、石山寺の秋月祭を訪れた時に感じたことを振り返りながら記したいと思います。

この日はあいにくの雨で、楽しみにしていた月は厚い雲の向こう。その姿を見ることはできませんでした。

けれど、鷲尾座主の法話にあった、見えない月と秘仏とを重ねるお話が心に残り、月が見えないこと自体が、この夜に静かな意味を与えているように感じました。

見えないままに敬い、心を向けること。

それは、普段はその姿を拝することのできない秘仏に祈る心のあり方にも通じているように思えました。雲の向こうにある月を思ううち、姿の見えないものにこそ、かえって深く惹かれていく自分がいました。

さらに本堂で拝見した能の「源氏供養」は、厳かでありながら優美で、石山寺という特別な場所に積み重なる記憶や気配と、ひとつに溶け合っているようでした。

見えるものを楽しむ夜というより、見えないものに、そっと心を澄ませる夜でした。

そんな夜に、ふと「一恭」という名前のことを思いました。

もしかすると一恭は、私にとっての御前立のような存在なのかもしれません。

自然のこと、人のこと、支援のこと。
日々の中で大切にしているものほど、うまく言葉にならず、普段は心の奥にあります。

それは、私の中にある小さな秘仏のようなもの。

一恭という名を通して、ときどきその一端が、言葉や活動となって現れる。

すべてを見せなくてもいい。
すべてを言葉にしなくてもいい。

雲の向こうに月があるように、
見えないところにあるものにも、静かに心を向けていたい。

石山寺の秋月祭は、そんなことを思わせてくれる夜となりました。

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